資料室

過去帳

 100年の歴史を持つ竹鼻線には様々な過去があります。ここでは、知られざる過去について紹介をします。

江吉良・大須間の記録

竹鼻線 江吉良・大須間の記録

 2000年3月1日に改正鉄道事業法が施行され、それまで“許可制”だった鉄道路線の廃止が“届出制”になり、地元の同意がなくても廃止ができるようになりました。当時全国2位の私鉄路線網を有していた名鉄は、合理化の名の下、閑散路線の廃止に着手をしました。
 法改正後初の名鉄における廃線は2001年10月の『岐阜ローカル4線廃止』で、その中に竹鼻線江吉良・大須間が含まれていました(ほかに谷汲線・揖斐線一部・八百津線)。かつて竹鼻駅まで走っていた旧竹鼻鉄道を大須駅まで延伸してからの72年で歴史を閉じました。

 運行最終日、竹鼻線には普段目にすることのない鉄道ファンが多く駆けつけ、線内を走る列車には「さよなら 大須」などの系統板も掲示。羽島市役所前駅ホームでは羽島市と名鉄の連名でお別れセレモニーが行われ当時の羽島市長吉田氏も出席しました。
 あの盛り上がりは瞬く間に訪れ、去ってしまいました。駅はもちろん最終運行後に閉鎖され待合室は解体、レールや架線も殆どの区間で撤去されたものの、一部の信号・架線柱・キロポストは残ったまま。踏切の廃止を告げる簡単な看板もかれこれ20年掲げ続けています。

 廃止後浮上した土地道路転用化の話も羽島市の拒絶により大半が立ち消え、未だに名鉄が管理する始末。だからこそ江吉良・大須間に“竹鼻線”が走っていた面影が多く残っています。
 当サイトの管理人2名はいずれも現役当時の写真を持っていないため、江吉良・大須間については廃線後の様子を紹介します。(現役当時の写真を提供していただける方はこちらをご覧ください

【こちらから】

内容更新:2021年9月30日
ページ公開:2011年9月30日

←「資料室」トップへ

inserted by FC2 system